飛 曇 荘

 飛騨と安曇のあいだで
<< October 2020 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>
<< 清光館哀史 10 紙碑 | main | 清光館哀史 12 「恋」 >>

清光館哀史 11 繋ぐ

512

〈 井川城跡・城跡に桜の花の散り敷かる 2020.04.15 14:00 〉

 

 小子内浜へはJR八戸線陸中八木駅前から左手の坂を上がる。グーグルマップ(2014年撮影)ではすぐ左にある「京呉服 一般衣料 なかむら」が中村宅のようで、道なりに約1.1km八戸線鉄橋手前の左奥が清光館跡地だ。

 1910年に小子内浜に生まれた氏は、清光館跡地を訪なう人にはその案内に立ち、柳田國男の文学碑建立にはその事務をとり、……には一言もふれず「過去の小子内浜と繋ぐものとして」『柳田國男と小子内浜』を書いた。

 

☆『柳田國男と小子内浜』著者、中村英二氏について

 1987年11月18日に刊行された同書奥付には著者略歴がない。

 国会図書館の同書「詳細な書誌情報」の註記に「著者の肖像あり」とあるのに違和感を抱くが、掲げられるのは柳田國男の肖像(昭和24年 柳 翁 撮影 入江泰吉)であって、この書の著者像ではない。

 https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000001927854-00

 

 

☆☆中村英二氏についての記述は、次の記事を参考にした

・中村英二さんはその舞台となった岩手県九戸郡種市町の小子内浜に生れ、育った、

 (『柳田國男と小子内浜』p.2 「この書に添えて」牧田 茂 (1987))

・私が生れたのは清光館のあった前の丘ですが、(本人談)

 (「みすず」2003年10月号 p.64 「「清光館哀史」のあと」森まゆみ (2003))

・この「偲ぶ会」の石碑は、小子内出身の郷土史家中村英二さんの発意によって建てられたものだ。

 (『人類学的認識論のために』「旅人の目がとらえるもの」P.348  川田順造(2004) )

・中村英二、明治43年(1910) 2月11日、小子内浜からさほど遠くない岩手県の北海岸の土釜という集落で生まれた。

 (『隣人』P.7 「やるせない生存の痛苦」松本三喜夫(2005) )

 

 

 

 

 

星のみえない夜 | permalink | - | - | - | -