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 飛騨と安曇のあいだで
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清光館哀史 13 小子内浜

〈 水制工 2020.05.22  14:13 〉

 

 中村英二『柳田國男と小子内浜』は、「一つの楽器も無くとも踊は眼の音楽である」を描いたかとおもわせる表紙にくるまれる。

 そこで柳田國男の東北の旅、小子内浜の歴史と衣食住、柳田の出会った盆、それに「濱の月夜」の背景、清光館哀史考につづく南部の盆踊り 「なにやどやら」私考で、「恋の唄でもなく、道歌でもなく、もちろんヘブライ語であるべきはずはなく、強いていえば、念仏呪文であるとしか思われません」。

 

☆参考文献

・中村英二著『柳田國男と小子内浜』「濱の月夜」「清光館哀史」の背景(1987):前出

・「一つの楽器も無くとも踊は眼の音楽である」:『定本 柳田國男集第2巻』「濱の月夜」による

 

 

☆司馬遼太郎が小子内浜を旅している。(『街道をゆく 三』「鮫の宿」の項  P.110-111 朝日新聞社 (1973) )

 ここには次のように記されているが、「浜の月夜」「清光館哀史」には下線で示した記述が見あたらない。

 ・柳田翁は明治四十年代にこのあたりを徒歩であるかれた。

 ・「一人来るんじゃなかった」と後悔した翁の気持がわかりそうな気がした。

 ・夜どおし浜辺で盆踊りをしていて、唄と潮騒と囃子が入りまじって湧くようであったという

 ・翁のとまった宿は、翁にいわせると「世界一きたないホテル」だったそうで、

 ・亭主が沖へ漕ぎ出して客のために魚を獲ってくるという宿だったそうだ。

 。あの宿はどうしたのだ、ときくと、「津波で流されてしまった」と、事もなげに土地のひとは言ったという。

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